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JCDAジャーナル

2016年大会特別版 第5号

東日本大震災での経験と学び、CDAとしてできること

2016年08月26日 14:58 by jcda-journal
2016年08月26日 14:58 by jcda-journal
平田 千早子さん(東北支部)

東日本大震災(以下、震災と表現する)から5年が経ちました。
被災者である私は予期しない出来事に遭遇してしまった時に、CDAとしてどのような行動をとり、どのような支援をしたのか、このタイミングで振り返り、CDAの皆様のヒントになればとの思いを込めて、私の経験をお話させていただきます。
今現在でも、日本各地では、震災後も自然災害の被害に遭われている方々が数多くいらっしゃいます。近いうちに再び大地震がやってくるという予想も聞かれます。そんな中でもCDAとし人々から頼りにされる機会があるはずです。少なくとも、私はその経験をした一人です。

まず、最初に私のプロフィールをお話しします。
2008年にCDAの資格を取得しました。自分が当時関わっていた不登校児童生徒が社会人になり、よいサポートが出来ないかという一つの指針を求めての挑戦でした。また、自分自身も、1年間の契約更新での教育職という不安定な立場でした。契約更新の期限は決まっていませんでしたが、毎年、年末年始は不安を抱えていました。そして、その仕事も5年目の2月末に次年度は契約を更新しないという旨の通知を受けました。予想外の出来事でしたので慌てふためいた私は、片っ端から「・・・相談所」「・・・労働問題なんとか」という相談機関に電話をしました。ある機関から「1ヶ月前の通知ですよね。何も問題はありません」と言われ愕然としました。後で聞くと様々な対応方法はあったということを知りました。でも、私が一番心に引っかかったのは、「知識や制度を知らない」ということよりも、マニュアル的な電話の応対がいつまでも耳に残りました。そのタイミングで、CDAという資格を知り、学んでみたいということに至ったのです。今振り返ると、この出来事が、後にCDAとしてクライエントの方々に対応する時に、クライエントの気持ちにまず寄り添うという、私の一つの大きな軸になっています。

震災の話に戻ります。私の生活拠点は宮城県です。直接地震被害はありましたが震災から1か月後には元の生活に戻ることが出来ました。しかしながら、実家は岩手県の沿岸部です。この地域名をお聞きになってピンとくる方も多いと思いますが、津波で実家は流されました。震災直後実家の家族や親戚を含め無事でしたが、ある意味夢のような数日間を過ごしました。日本の現状として、高校を卒業して、大学や就職で首都圏で離れて生活している方は多いと思います。家族が、離れて暮らすということで不安も助長されてしまうことは目に見えています。また、災害直後だけではなく、生活拠点をいずれかが失ってしまった場合は、様々な選択を短時間で決めなければいけないという場面があります。直接面と向かって相談できればよいのですが、交通機関も寸断された場合などは話し合いもままならないという厳しい現実があります。そのためにも、折を見て、離れている家族は、緊急に備えての話し合いをしておくことの必要性を感じました。

さて、震災から数日間、時間は動いているのですが、自分が何をすればよいのか、自分の体が動かないという不思議な感覚になりました。その後は、マズローの欲求階層を底辺の部分である生理的欲求を満たすためのアクションを起こしました。「食べ物」「ライフライン」「ガソリン」の確保など。それと同時に、身内の安否確認をしました。唯一、岩手の実家の母とだけ連絡がつかず安否がわからないという不安な時間でもありました。(その後、無事が確認されました)

そんな渦中で、私を現実に引き戻してくれたのが一本の電話でした。以前に登録していた人材派遣会社からの安否確認でした。大手の会社でしたので本社からの指示なのかマニュアルがあったのかは定かではありませんが、社会人としての立場であるということにハッとしました。まさに、スーパーのライフレインボーの様々な役割の気づきでした。
余談になりますが、大切なことをお話しします。当時、ガソリン不足でしたので多くの人が遠出の外出を控えました。多くのライフラインは途絶えました。そのような状況で、携帯電話で数多くと情報交換をしていました。とにかく、情報がないということは不安を助長させます。皆様も、ご存知の通りTV、ラジオ、新聞の情報、加えてSNSの発信は、より身近な情報を得るのにかなり有効でした。やはり、情報を得るツールは普段から複数確保しておく必要があります。

CDAとして震災直後のエピソードを2つお話しします。
1つ目は、震災から1週間が経過し、1本の電話が鳴りました。「CDAの資格もってるよね。相談したいんだけど」という友人からでした。
フリーランスで働いていた友人は、震災で活動場所を失くし、今後の自分の仕事についてどうするべきか悩んでいるという内容でした。相手の気持ちに沿いながら話を聞き、助言をさせて頂きました。現在、友人はその時に考えたことを実行に移し、現実のものにしています。後で、聞いた話では、なぜ、電話をくれたかというと、仕事のこと、将来のことで悩んでいたの時に、CDAの資格を取得したという私の会話を思い出したのだそうです。そこから、名刺を探し連絡をくれたということでした。名刺に取得資格を表記したことが功を奏した事例です。
名刺に関しては様々な分野の方々から多く活用したという話は聞きました。クライシスな事態が起こった場合、文字を見るという視覚に入る情報は、耳から聞く聴覚の情報よりも冷静にしてくれます。後に、聞いた話ですが、名刺を頼りに被災地の多くの方が支援につながったようです。

2つ目は、失業失職した人達に、再就職の支援をする場での出来事です。
帰り際にある人に声をかけられました。「さっきの話で、面接を受ける時はスーツで行くようにお話しされていたのですが、洋服は津波ですべて流されました。どうしたらいいんですか・・・」。この言葉で、CDAとしての自分の配慮のなさと、就職支援がマニュアル化してしまっている対応になっているかもしれないとう反省に繋がりました。予期しない出来事を乗り越えるためには、状況を見なければならないということです。それから、1週間後、求人情報誌の所々の会社の募集要項に「面接の服装はスーツでなくても可」という文字がみられるようになりました。

まとめると、①CDAという資格を世間の方に理解して頂くために、自ら資格取得者はそれを広める機会を持つこと。それが、いつ誰の役に立つかわからない。②クライエントの置かれている状況をよく見て、理解しようと心がけること。
以上2点が私の震災直後にCDAとしてエピソードから学んだことです。

CDAとして、震災を経験してから実践したことについて話します。
震災後、日本のみならず世界から様々な支援が届き始めました。物的支援、人的支援本当にありがたく思い、感謝の気持ちでいっぱいでした。被災者として、自分はこのまま支援される側で良いのかという思いが強くなりました。

私は津波で変わり果てた自分の故郷に何かしたいと考えました。「被災者のキャリア支援」「仮設住宅に住む方々のサロンに出向き話しを傾聴する」「被災地の子どもについての調査研究」どれも、自分の心を動かすものはありませんし、もうすでに現地で活動を開始している人々や団体がいらっしゃったので、そこは躊躇しました。そこで、一つのセミナーに出合いました。ある仙台市の外郭団体が企画した「美しい東北の未来創造塾」といセミナーです。そこには、同じ思いをした女性たちが多く集いました。実践者の話を聞き、企画を考え、被災地にフィールドワークを通して大きな刺激を受けました。

地域の未来について話し合う女性たち

その学びの中から生まれた企画が「コミュニティーガーデン作り」です。この企画を実現させたく、故郷に残る友人達に話したところ、「自分も何かしたいと思ったけれどもどう動いていいかわからない」という声を聞きました。被災者は被災者であっても、自分も地域に貢献したいという思いは私だけではなかったのだと強く実感しました。そして、有志数名で「東北コミュニティーガーデン推進研究会」を立ち上げました。ご縁があって、アドバイザーの方や園芸家のかたの協力も得ることが出来ました。このガーデンの設立目的としては、ガーデン作りをしながら、被災者の方の語らいの場所にしたいこと、町全体が津波被害を受けているので「色」がないのです。その場所に花を咲かせて、地域の皆様の心を癒したいという思いからです。企画を進めていく中で、助成金を活用するということを知り、申請の方法も学びました。助成金の支援団体として選ばれました。あの時は、本当に助かりました。それも、学び、情報や知識がなければできなかったことです。

終わりに。

震災という悲しい出来事に出会いました。しかし、その中でも学びはありました。この経験を無駄にしたくないという思いは強いです。そんな中、私の体験を皆様にこのような形でお話しできることを本当に感謝いたします。震災から5年。CDAとして、私はあの時の教訓を忘れずに、自分がCDAということを初めて出会う方にはアピールするようにしています。また、CDAとは、どのような資格であるのかということを説明しています。ささやかな活動ですがそのことは、いつかどのような形になるかわかりませんが誰かに貢献できるということを確信しているのです。

プロフィール
筆者 平田 千早子
活動場所 東北
活動領域 学生支援・女性支援
活動歴 子ども支援(主に不登校児)、学生支援(スクールカウンセラー、大学助教として)、女性支援

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