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JCDAジャーナル

2016年大会特別版 第6号

被災地支援_自分と社会が、自己概念で繋った人生へ

2016年11月10日 10:26 by jcda-journal
豆野 一彦さん(関西・北陸支部)

関西北陸支部の豆野でございます。東京大会のナラティブセッションでは、東北震災支援の活動報告の場を頂き誠にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
2011年3月11日は私の人生の大きな転機となりました。TVから流れる東北の震災の状況を見る度に心がざわざわするのをおさえることが出来ませんでした。この目の前の映像は今まさに現実に日本で起きている事で、傍観者として見ていていいのだろうか、本当に自分は何も出来ることはないのだろうか、自問自答する日々が続きました。そして震災発生の2ヶ月後に、大阪から、被災地へのボランティアバスに勇気をふりしぼって、単身で参加しました。bus決めたは良いものの、バス出発の当日は、夜で本当に知らない人の中に入り、また行ったことのない、東北の被災地で何が出来るのだろうか、本当に心細く、不安な気持ち一杯でバスに乗り込みました。しかしバスに乗ってみると、すごくあたたかな、自分の居場所はここだ、ここにいていいんだという、安心安全な場所を非常に感じました。たとえて言うのであれば、指を切ったら、周りからバンドエイドが10個も20個も周りの人達が差し出してくれるようなあたたか場所でした。この非常に居心地の良い感じは以前どこかで経験した事があると強く思いよくよく考えると、小学生時代から中学、高校、大学、を通じて活動していたボーイスカウト時代の事が思い出だされました。社会人になり約30年間、他人と競ったり、争ったりしている中で忘れていた感情でした。そうだ自分は元々、奉仕活動など他人に喜んでもらえる事が好きな人間だったはずだという自己概念にきづきました。靴それはたとえていうのであれば、靴の左右を反対に履いて、歩きにくい人生を歩んできたこと、そしてボランティアバスに乗った瞬間、その履き違えていた靴が左右ぴったりと一致し、自分と社会とが、自己概念で繋った瞬間でした。まさに繋がりの幸せを実感した瞬間でした。そして自己概念が明確になるとどんどん積極的に行動を起こす様になり、東北へどんどんボランティアへ出かけるようになりました。しかしそこでは、人を支援しようという思いだけでは乗り越える事の出来ない大きな壁にぶち当たりました。それはある被災地の仮設住宅を訪れた際に、被災された方とお話しをしたのですが、年配の方でお話される東北弁がまったく理解できず、多分悲しい話をされているのだろが、どう声をかけて良いのか、さらにうなずいてよいのかさえ分からずいきなり知らないところから来た人間が、お辛かったですねと声をかけることもできず。どう接して良いかわからず途方にくれました。壁人を支援したくて来たのに、何も出来ない自分に対して、強い無力感を感じました。思いだけでは、人を支援出来ない。やはり知識、ノウハウの必要性を感じました。そして知り合いから教えてもらった、CDAの勉強をし、資格を取らせて頂きました。そして資格をとったあと状況は一変し、被災者の方から話を聴いて欲しいと寄ってこられるようになりました。他のボランティアの方達からは、豆野さんは話を聴くのが上手ですねと感心されるようになりました。そして、26年間勤めてきた仕事も退職し、人の支援をする仕事へと転職しました。
私が5年半にわたり、40回以上訪れた東北震災支援の活動をまとめて見ました。

  1. 震災直後から、約1年間、現地の瓦礫のかたつけや、海岸の清掃。
  2. 1年後~、仮設住宅を訪問し、集会場での炊き出し、たこ焼きやそうめん流しなどをして交流。
  3. 福島の子供達を、いろいろな地域に招待する、子供保養プロジェクトへの参加。
  4. 里帰りバス(関西に避難してされている方々の東北への里帰りバスに同乗し交流。故郷へ送り届け私達ボランティアは現地でボランティア活動をしたのち、里帰りされている方々をピックアップし関西へ戻る活動)
  5. 関西への母子避難されている方達の避難者交流会での子供保育。

特に「5.」は母子避難者交流会で、子供達を別室で預かり、保育するのですが、震災当初から1~2年は助成金目当てでNPOが実施していたのですが、助成金が打ち切られるとどこも手を引き、今は豆野が個人的にボランティアで学生を集めやっているだけです。5年の間にはいろいろとあり、本当に何やってるんだろうか?人の役にたっているんだろうかと思う時が多々ありましたが、子供さん達の成長していく姿を楽しみに地道に継続してきました。そしてそこで築いた信頼関係から、ホッとネットおおさか(大阪弁護士会や社会福祉協議会、地方自治体など、100の団体が所属する、避難者支援をする公的団体)が主催する、避難者交流会に、弁護士や司法書士、の相談ブースに交じって、豆野さんがするのならと言うことで、JCDAとしてキャリアカウンセリングのブースを出させて頂き、避難者の方のキャリアカウンセリングをさせて頂きました。私としては、CDAになってから、ずっとやりたいと思っていたのですが、なかなか実現することは難しかったのですが、あきらめず地道に活動してきた結果、これをやりたいがためにCDAとなり、そしてその夢がかなった瞬間でした。夢そしてさらに、この10月には、大阪で、宮城県主催の避難者交流会で、キャリアカウンセリングブースの出展の依頼が宮城県から正式にJCDAにありました。本当にまだスタートではありますが、JCDAと社会が繋がった瞬間です。CDAのこれからの可能性を強く感じる瞬間でもありました。そして私がCDAになり一番やりたかった事、ずっとずっと、毎日心の中で思い続けてきた事。福島県でピアトレに参加するという夢が先月9月に叶いました。福島地区発足第一回目の地区会でピアトレが実施されました。
そしてそこで、PFとして参加させて頂き、これ以上なにも望む事がないくらいの夢が叶いました。当日は、立野理事長も参加頂き、なんと福島県のCDA60名の内、3分の1の20名が参加頂き、福島地区会の勢いを感じました。そして今までの福島に対する熱い思いを語らせて頂きました。本当に福島は今まだなお、人生の予期せぬ転機をむかえられている方々ばかりで、日本で一番CDAを必要としている地域ではないかと思います。そこで日々がんばって支援されている福島のCDAの方々と出会い、知り合えたことは、最高の幸せです。私は震災の復興支援がしたくてCDAになりました。支援しようという思いだけはなく、知識、ノウハウが大切と思い勉強しました。今思うのは、確かに知識、ノウハウは大切でした、しかし思いがないと知識、ノウハウが生かされない事を実感しました。この思いこそが、CDAの在り方そのものではないかと私は感じます。やろうと思わないと何も変わらない、やってみないと何もはじまらないことにきづきました。CDAになり自己概念が成長しました、そしてこれからも多くのCDAの仲間と成長し続けたいと願います。

プロフィール
筆者 豆野 一彦(まめの かずひこ)
活動場所 大阪、福島、宮城、岩手
活動領域 東北大震災復興支援
活動歴 2011年5月から継続中
その他 豆野 一彦(通称 まめっち)
ファストフード店の店長として、25年間、約1000人の、採用、労務管理、人材育成にたずさわる。退職後、CDAの資格を取得。府立高校の進路指導室でキャリアアドバイザーとして、高校生のキャリア支援。私立大学のキャリアセンターで、学生のキャリア支援を経て、現在、行政機関で、年間約1800件のキャリアカウンセリングを実施。若年者のキャリア支援行う。
311東北大震災発生後、2ケ月から現在まで約40回以上現地を訪れ、仮設住宅での、交流会や、子供保養プロジェクトに参加。また、地元関西でも、関西への避難者の支援を継続実施中。

JCDAホームページ

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