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JCDAジャーナル

2016年大会特別版 第4号

フリーランスとしてのキャリアカウンセラー、セミナー講師

2016年08月26日 14:57 by jcda-journal
2016年08月26日 14:57 by jcda-journal
小島 健一さん(九州・沖縄支部)

1、CDA資格取得の理由、活動を始めたきっかけ
1999年に私大職員として入職し、配属されたのが就職課でした。私は就職活動がうまく行かず、大学4年生で内定を1社も得ることなく意気消沈。結局就職浪人しました。翌年も秋まで内定が全く出ない状況でしたが、運よく大学職員として採用して頂きました。その就活が上手にできなかった私が、配属3日目くらいから窓口に押し寄せる学生の対応に追われ、履歴書の添削や面接の練習を行いました。そして指導は誤字脱字を訂正する程度の内容で、今考えると恥ずかしいものでしたが「ありがとうございます!」と言って帰っていく学生を見て、世話焼きをしたがる自分の性格上の強みと重なり、「この仕事いいなあ~」と思い就職課の業務に励みました。kojima001
業務を続けていく中で、3年生向けに行っていた就職講座の企画立案も担当していたのですが、そこに年に2回ペースでお見えになっていた先生が全国各地を飛び回って学生に仕事や働くことの意義を伝える方でした。「この先生のように就職に関する講師の仕事をしてみたい」と思い、フリーランスの講師業を意識するようになりました。また、別の機会に、組織の研修に来られた先生がキャリアカウンセラーの資格をお持ちで、そこにも興味を持ちました。それらの出来事から「私が行っている相談業務を資格という形にしたい」という風に思い始め、隣県の福岡で取れるCDAの養成講座でキャリアカウンセリングのことを学びはじめました。2004年の、第15期福岡Bコースでした。その時ご一緒させて頂いた同期の方々とは今でも情報交換をしておりまして、自主的に行う勉強会などで頻繁に顔を合わせています。このご縁に恵まれたことだけでも、CDAで学んでよかったなと思っています。

2、大変だったこと・苦労したこと・衝撃を受けた気付き
大分県内で、フリーランスで、かつキャリアカウンセラー専業で動いている方が私の知る限り当時いらっしゃらなかった為、私自身がやりたいことを表現するのにとても苦労しました。大学や高校など、進路やキャリアガイダンスのことで、仕事をしていこうとはじめは考えていましたが、見通しが非常に甘かったことをすぐに実感しました。大分県内外に営業活動に赴きましたが、実績がなかったので「依頼するのが難しい」と断られることが非常に多く、はじめは実績作りのために交通費のみ支給されるお仕事も受けていました。「ああ、組織の看板が外れるとはこういうことか」ということを身をもって感じました。本業以外のアルバイトも行いながら単発で入ってくる仕事をしていましたが、1年ちょっと経ってもほとんど仕事が入ってこなかった為、「活動を辞める」ということも考え始めました。

3、実際のアクション
私は年賀状や暑中見舞いなど、節目でお便りを出すようにしているのですが、大学職員を退職した時も、ご縁ある方々に個人事業を始めたことを伝えるはがきを出していました。フリーになって1年ちょっと経って苦しかったとき、そのはがきを出していた行動が身を助けてくれました。「大分でキャリアカウンセラーの方を探している方が福岡にいる。小島さん、キャリアカウンセラーとして独立してませんでしたっけ?」という北九州の方からのメールが一本入りました。藁にもすがる思いですぐにその方にお返事し、その後、地元で就職支援セミナーのお仕事を頂くことになりました。その北九州の方とは、前職でご縁頂いてやりとりしてたのですが、「大学職員の小島」ではなく、組織の看板が外れた私にご連絡を頂いたことがとても嬉しく、今でも強烈に印象に残っています。それ以来、年賀状や暑中見舞いでは仕事の近況報告を必ず盛り込むようにし、Eメールでもご縁ある方々に不定期でお知らせメールを送るなど、発信することを意識した行動をしています。そうすることで『縁』をひとつまたひとつとつないでいくことができています。kojima005

4、今後の方向性
①若者に経験が不足しているという事実
「大分の若者に"はたらく”をしらしんけん伝えます」を理念として、大分みんなのキャリア支援センター(通称:みんキャリ)の活動を有志と共に2015年7月よりスタートしています。「しらしんけん」とは、「とても一所懸命」という意味の大分弁です。大学・高校・専門学校・サポステ(地域若者サポートステーション)などで、主に20代を中心とした方々とこれまで関わってきましたが、その中で日々感じるのは、私のような40代世代と比べて圧倒的に経験や体験が不足していることです。 話し慣れていない。聞き慣れていない。色んな場所に行き慣れていない。色んな物事を知らない。kojima003
便利な時代で、誰かに何を訊かなくても、スマホやGoogleが教えてくれる時代です。大人たちも、疑問があった時に、誰かに訊くことをいつしかやめ、スマホやGoogleで調べる時代になっていきました。おかげで、自分の興味ある物事にはものすごく精通していて、それ以外のことが目に入らない、関心がない、という時代になっています。これは、私のような40代以上の世代にも言えることです。人間とは、その文字のごとく、人の間にこそ生きるものです。この味気ない世の中、社会を、ちょっと不便な時代にさかのぼらせて、昭和にあったご近所づきあいの関係を、このみんキャリでやってみたいと思っています。 小さい頃、地元でよく見かけた立ち話のような雰囲気の中で、「この仕事に就くにはどうしたらいいんだろうか?」「働き方がよくわからない。誰か教えてくれない?」「そもそもなぜ働かないといけないのかわからない。理由が知りたい」などなどの疑問を、みんキャリにボランティアベースで関わってくれているメンバー(ナビゲーターと私たちは呼んでいます)が、若者たちと一緒に考え、知恵を絞ります。人生を豊かに、明るく、元気に過ごしていけるように、導いていきます。kojima02

②仕事(志事)塾という場であり、人財交流の場であるということ
みんキャリは「大学等にあるキャリアセンターを、まちなかに創りたい」「仕事・学び・働くというキーワードで、みんながふらっと立ち寄れるスペースを創りたい」という思いからスタートしています。その特徴は①単なるノウハウを提供するだけでなく、働きがいややりがいなども伝える内的キャリアに働きかける取り組みをしていること、②屋内でのワークショップだけでなく、体を動かすワークや、大分という地の利を活かした自然体験活動を行っていること、③先述したナビゲーター制度を設けて、来所者に世話を焼く密な関係性を大切にしていること、④首都圏・関西圏等人口の多い場所で例があるが、地方都市でかつ民間団体で常設のスペースを確保しているのはあまり例がないこと、などが挙げられます。ビジネスモデルとして確立していくことが今後の課題でありますが、「人財で困ったらみんキャリ」と思って頂ける活動を展開し、企業内の採用・教育・定着の部分に寄与するサービスを展開していきたいと思っています。また大学・専門学校、高等学校でのキャリア形成の場面でのサポートもしていきたいと考えています。

③CDAとしてみんキャリの活動で伝えたいこと
これまで若年者支援を17年間(CDA取得後は11年間)一貫して行ってきましたが、ニート・フリーターや学生の方々に、社会的役割を担ってほしいと思いこの活動を行っています。ごくたまにですが、私がこれまで支援してきた方と街中で会うことがあります。「いま、何してるの?」「はい、おかげさまで○○の仕事をして頑張ってます!」というやりとりを笑顔でするのですが、イキイキとした表情で役割を担っている様子を知り、とても嬉しい気持ちになります。私自身が就職活動でうまくいかず、「どこにも雇ってもらえない。社会の中で役割を担うことが出来ないのか・・・」という寂しい気持ちになったことを覚えています。そうした社会の中での孤独感や寂しい瞬間・辛い瞬間を少しでも世の中からなくしていけるような活動を行っていきたいと思います。kojima007

プロフィール
筆者 小島 健一
活動場所 大分県別府市
活動領域 若年者支援
活動歴

◆講演・ワークショップ
大分県、日本経済新聞社、別府商工会議所、日田商工会議所、(公財)大分県産業創造機構、富士産業株式会社、大分県教育委員会、山口東京理科大学、広島大学、大分大学、京都精華大学、日本ベンチャー大學、東九州短期大学、別府大学、大分県立芸術文化短期大学、大分高専、など企業・学校多数
◆キャリアカウンセリング
・大分県内、山口県内、東京都内大学・専門学校でのキャリアカウンセリング
◆公的事業
・大分県教育庁委嘱キャリア教育推進員、矯正施設内での受刑者就労支援、おおいた地域若者サポートステーション

コメント

1975年大分県別府市生まれ。1999年広島大学文学部卒業後、私立大学職員として約6年間勤務。2005年に個人事務所「キャリアウィンドウ」を開業。2010年拠点を大分から横浜に移し、フリーのキャリアコンサルタントとして活動。2011年日本医学柔整鍼灸専門学校キャリア支援センター長代行・学生募集リーダーを担当し、2014年帰郷。再び大分でフリーランスとして活動し、民間でつくる「人づくりの場」「交流の場」「採用のサポートの場」として大分みんなのキャリア支援センター(みんキャリ)を有志とともに立ち上げる。


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