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JCDAジャーナル

2015年5月号 No.55

【経験代謝が起こった事例】「共に生きる」道を目指して ~意味の実現へ~

2015年08月06日 14:39 by jcda-journal

「共に生きる」道を目指して
~意味の実現へ~
JCDA事務局次長 佐々木 好

昨年11 月頃だったと思いますが、テレビで「Hug Lady(抱擁する女性)」と題されたニュースを見ました。最初は軽く流して見ていたので詳細の記憶は曖昧なのですが、アメリカのどこかの空港に毎日通っている80 歳代のおばあさんのお話でした。そのおばあさんは空港の到着ゲートで、帰国してくる若い米兵の人達を迎えてお一人おひとりHug しているのです。インタビューを受けた米兵の人たちは少し照れながらも「彼女がいつも待っていてくれるから頑張れるよ」と答えていました。そのおばあさんは、小柄で腰も曲がっており、動きもとても緩慢なので、体格のよい若い米兵たちは彼女の背丈と動きに合わせてそっと身をかがめながら、少し照れたような表情で彼女のHug を受けていました。おばあさんは、「異国で頑張っている兵士たちに私ができるのはこのくらい。でも毎日通って皆を迎えたいわ。」と微笑んで仰っていました。この光景を見て、私は何とも言えない気持ちになりました。

Hug Lady

そのニュースを見て私の心にふと浮かんだ言葉は、「あぁ、私も晩年はこうありたい。これさえできれば、他に何もできなくてもいい。」でした。「こう在りたい」とか「これ」が意味するものは何なのだろう・・・と私は自問自答しました。それは私にとって、「他に何もできなくても」、「それ」だけはしたい、在りたいと思う何か・・・私は、それは「愛」だと思いました。年金生活を送っているのであろうおばあさんが毎日空港に通う姿に、私は愛を感じたのです。そして、そのおばあさんの中に、私は未来の自分の姿を見ました。年をとって自分にできることは限られてきても、相手を大切に思う心さえ自分に残っていればいい。自分の肉体がだんだん動かなくなっていっても、「私はあなたが大切だ」という愛は私の中から消えることがなく、この先どんな状況にあっても、変わらずずっと残るものだと実感したのです。

このニュースを見た頃の私は、多忙を極めていました。キャリア業界を取り巻く環境の大きな変化が予想される中で、将来の変化に向けて組織の体質改善をしないといけない等、「~をしないといけない」という考え方に捉われていました。この2 年間で経験代謝を通して自分の目指す方向性は明確になり、基本的には軸足もぶれずに順調にきているものの、次から次へと起こる事柄に押されると、どうしても余裕がなくなってきます。気力や体力が落ちてくると「この程度のことでパンクしそうになるなんて、自分が目指している大きな実現なんてとても無理だ」と落ち込むこともありました。そんな時にこのニュースを見て、私は肩の力がふっと抜けたのでした。Hug Lady のように愛をもって誰かをHug できれば、その気持ちさえあれば、うまくいかない時もそれはそれでいいじゃないかと思ったのです。愛

同時に、子供の頃のある経験を思い出しました。同居していた私の父方の祖父は明治生まれで電線の技師でした。背が高くめったにしゃべらない寡黙な人でした。そんな祖父が、幼い私が母に叱られているのを見ると、よく私をひょいと肩に担いで外に連れて逃げてくれました。母がどんなに怒っても、知らんぷりでそのままふいっと出てしまうのです。そのまま公園のベンチに二人で座り、何をしゃべるでもなく一緒に時を過ごしました。そして、日が暮れてくるとどちらともなく立ち上がり、黙って帰路につくのでした。祖父と共に過ごしたこの不思議で静かな時間は私にとって大切なひと時でした。私をなぐさめるでもなく、話しかけるでもなく、無言でただ一緒に過ごす時間。それでも、祖父に深く愛されていることは子供心にも分かりました。
Hug Lady も私にとってこの当時の祖父の姿に重なります。どちらの経験にも、同じく「愛=共にある」という名前がつきます。

そんな祖父が間もなく老衰のため認知障害が進み、混乱がひどくなりました。徘徊を繰り返し、最後は入院生活をしばらく送って亡くなりました。私が小学校低学年の時です。また、母方の祖母とは同居はしていませんでしたが、重たい糖尿病を患い、壮絶な闘病生活を送りました。その祖母が亡くなり、三重県から上京した母方の祖父と同居することになりました。その祖父は脊髄障害による四肢麻痺で、私が大学生の時に亡くなるまで自宅での介護生活が続きました。祖父母の心と体が老いと病で刻々と変化していき、苦しんでいた姿が今も目に焼き付いています。私にとって身近で大切な人の「生」はあまりにも過酷で、「生きること=素晴らしい」と単純には思えませんでした。人の尊厳とは何なのか、生きることは喜びなのか、命に意味はあるのか・・・ずっと抱え続ける命題になりました。

そこにさらにつながる経験ですが、私はJCDA の「物語の中の登場人物があなたに語りかける」の研修で、「風の谷のナウシカ」を語ったことがあります。行き過ぎた科学文明の崩壊後、異形の生態系に覆われた終末世界を舞台に、人と自然の歩むべき道を求める少女ナウシカの姿を描いた作品です。ナウシカのセリフで一番印象に残っているのが、「清浄と汚濁こそ生命、いのちは闇の中のまたたく光だ」です。私自身の言葉で言い換えると、「苦しくても共に生きよう。あなたの生には意味がある。だから、共に生き抜いて、次世代に命をつなごう。」となります。子供の頃の経験から、私は、病、貧困、虐待、遺棄に苦しむ人間や動物、そして自然破壊に心を引き寄せられるようになりました。「闇」におかれた「生」に寄り添い、共に生きる道を模索する姿はナウシカであり、私自身であります。そして、私の祖父母を含め、過酷な状況にあってもすべての命は「またたく光」であってほしいと切に願っているのです。またたく光

これまで、私の自己概念は、「博愛」に始まり、「チーム」、「大成(大願成就)」と変化し、今は「共生(きょうせい)」という名前がついています。私は「闇」におかれた「生」にも寄り添えるように、どんな「闇」に接しても壊れない強くてしなやかな心が欲しい、そして、「闇」の根源に働きかけ、共に生きる道を模索するための知恵と能力が欲しいと思っています。そのための努力もします。今思えば、これまで学習して獲得してきた様々な知識やスキルもすべて「在りたい自分」に近づくために手に入れてきたのだと今はわかります。さらに、もし自分の持つ能力や知識、キャパシティで不足する場合は、私は他者の力を募り「チーム」でことにあたろうとします。「チーム」で成果を出すことは、私のこれまでの過去の成功体験にも裏打ちされています。ひとりでは無理でも皆で取り組めば成し遂げられる、自分にはない才能もきっと誰かが持っている、総合力で実現を目指せばいい。「チーム」は私の自己概念が無意識に創りだした戦略なのだと思いますが、自分らしいという実感があります。

「共生(きょうせい)」は、私にとっては「愛=共にある」という意味が起点ですが、JCDA のスローガンである「共に生きる」と同じ言葉でもあります。自分個人にとっての生きる意味が、所属する組織の理念とつながっているというのはとても幸せなことです。冒頭の経験で私はHug Lady であるおばあさんに未来の自分を見たのですが、同時に、Hug を受けている若い兵士に今の自分の姿を見ました。自国のために最前線で戦っている姿・・・社会的にも、組織における立場的にも、難しい課題に取り組むのは自分たちの世代なのだとあらためて自覚しています。

今の私はJCDA の上の世代からバトンを受け取りつつあります。「キャリア」という言葉が社会に全く普及していなかった時代から、CDA を産み、育て、発展させてきた、とても重たいバトンです。そして、そのバトンもまた、私には困難な道を生き抜いてきた「またたく光」に見えます。その光は私たちの世代を通じて、また次の世代に受け継がれていくもの。私はその光に寄り添い、社会の中で「共に生きる」道を一緒に模索し、キャリアカウンセリングで展開していこうと思います。それが私の意味の実現です。

特定非営利活動法人日本キャリア開発協会

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