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JCDAジャーナル

2014年01月号 No.50

【特集1】JCDA発足までの経緯

2015年08月05日 12:55 by jcda-journal

キャリアカウンセリングの必要性を感じた背景や
JCDA設立の経緯

<原点>JCDA理事長 立野 了嗣
私は大学で臨床心理学を専攻しました。最初は精神分析に興味を持ちました。その関係の書籍をよく出版している「みすず書房」の本をそのころよく読んだことを覚えています。
しかしある時から治療としての精神分析に限界のようなものを感じました。言葉にすれば「社会との関わり(の欠如)」のようなものです。またゼミの実習で児童 相談所の「プレイルーム」(遊戯療法を行う部屋)で「プレイセラピー」の観察を行いました。ゼミの指導教授(ロールシャッハの解説書、描画診断などで有名 な高橋雅春教授)がそこのスタッフを指導していました。ゼミはもちろん臨床心理でしたが、「人」と「社会」の関係に関心を持ちました。いま考えると「人は 社会の中でその影響から自由でいられるか否か」というようなテーマが、その頃微かに頭の中に浮かんでいたように思います。

星空3

そんなことを考えている頃だった と思います。3年生の夏休みでした。下宿にいました。ほとんどの下宿生が帰省して静かになった下宿で昼はアルバイト、夜はアルバイト仲間の下宿の先輩と夕 食を取り、後は読書の生活でした。
その日も同じように夕食後、何日か前から読んでいる本を読みました(残念ながら何という本だったか定かではありませ ん)。その中から「疎外」という言葉が引っ掛かりました。
そして環境の中で(その時は社会ではなく、環境という言葉で考えていました)自分をどのように規 定出来るか、という考えに移りました。ベッドの中でかれこれ2~3時間考え続けたでしょうか。なにせ暇でしたから。次々と考えました。

自分を規定するものは、つまり自分を取り巻く環境との関係ではないか、だから環境との関係を断って行けば最後に残るのは環境に囚われない自分ではないか、そんな風に考えまし た。「環境との関係を断って行く」自分以外の様々なモノと自分とが糸のようなものでつながっていて、その糸をプツ・プツと切って行くイメージです。
でも、 そんなことをしたら大変不安定になって行く自分を感じました。また考えました。環境が「外」にあると考えるから「断つ」という発想になるんだ、そうではな く、環境を「内」に取り込めば「断つ」必要はない。「そうだ!すべての環境を内に取り込めばいいんだ」と思いました。

すべてのもの、言い換えれば宇宙では ないか、そうだ「宇宙を自分の中に取り込めばいいんだ」と思い、大変安らかな気持ちになって眠りにつきました。
これは2 ~ 3 時間考えた最後の部分ですが、これがその後の人生で私の命題となりました。「環境を内に取り込む」自分が考えたこの言葉の意味を展開するのにその後30 年かけることになりました。

<キャリアカウンセラーが生まれた背景>
―― 「キャリアカウンセリング」誕生のきっかけ
そもそもは1973 年に起きたオイルショックの時に遡ります。当時、「人員の合理化」という名のもとに多くのサラリーマン、特に中高年齢者が人員合理化(リストラ)の対象になりました。

ビル対象となった多くの方々と出会う機会がありました。そこで感じたのは、高度成長期を経て「強い」と言われてきた日本のサラリーマンが、いかに「会社」に頼って生きているのか――ということでした。例えば、一部上場機械メーカーの部長職の男性は、自身のキャリアを述べる際、「何をしてきたか」という表現はなく、すべて「何をさせられて来たか」という表現で語るといった具合です。

その様な経験を通して「人のキャリア」を考えはじめました。 さらに、その考えが大きくなったのは、それから約20 年後、1992 年のバブル崩壊時期です。オイルショックよりもさらに広範囲に渡るリストラが各企業で実施され、日本の雇用事情は深刻な状況に陥りました。
そこで、当時勤めていた日本マンパワーでサラリーマン個人を対象に具体的なキャリアプランの立案方法とカウンセリングを合わせたサービスを提供したところ、カウンセリングのニーズが非常に高いということが解ったのです。

具体的には「職を変える」という意識をお持ちの方が多く、その相談を受けるためには、我々が持っていた能力開発という視点でのノウハウでは対応が難しく、雇用に関わるノウハウや理論といったものの必要性を感じました。そこで、適切なプログラム探しを始めることに――。これが、日本に「キャリアカウンセリング」を導入するきっかけとなったのです。

―― 「キャリアカウンセラー」が生まれるまでの動き その1
キャリアの形成という視点で、カウンセリング技法を探す中、「キャリアカウンセリング」という言葉に出会いました。そこで、日本のさまざまなカウンセラーの団体や研究所を訪ねたり、日本のキャリア開発の大御所と言われる方々に「キャリアカウンセリングとは何?」と聞きました。しかし、普通の「カウンセリング」と「キャリアカウンセリング」の明確な差がなかなか見つかりません。そこで、「キャリアカウンセリング」が盛んなアメリカで調査をすることにしました。

そこから、誰と会えばいいのか、どこに行けばいいのかなどを調べ、1996 年、実際に渡米。アメリカカウンセリング学会の名誉会長に会うためにペンシルベニア州立大学を訪れたりと、いろいろと回ったのですが、なかなか探しているものに出会うことはできませんでした。
諦めかけた頃、アメリカでアセスメントツール(テスト)を手がけるACT 社のワシントン支社に行くと、入り口に「ホランドの6角形」がかかっていました。ホランドの六角形

これは職業上の6つの興味分野に基づくパーソナリティ・タイプを6角形で表現したもので、職業心理学の理論に基づいたものです。ACT 社でこうしたものに出会うとは当初予想していなかったのですが、これが後々CDA資格誕生のきっかけとなります。というのは、この後、ACT 社の本社を訪問したのですが、そのときに出会ったACT社の副社長・ジョアン=ハリス=ボールズビー博士は、全米キャリア開発協会(NCDA)の会長を務めていたのです。ここからボールズビー博士とキャリアカウンセリングを挟んだ長い付き合いが始まりました。

時を同じくして、アメリカ労働省の一機関であるNOICC(National Occupational InformationCoordinating Committee:アメリカ職業情報調整委員会)にカウンセリングのマニュアルがあるらしいという情報を得て再度渡米。その際にACT 社の本社にも訪問。日本に「キャリアカウンセリング」を広めるキーパーソンとなった、ボールズビー博士の日本招聘にこぎつけました。

―― 「キャリアカウンセラー」が生まれるまでの動き その2
1998 年冬、ボールズビー女史に来日してもらい、キャリアカウンセラー養成研修を開催してもらいました。その際にアメリカで、「CDF(Career Develop-ment Facilitator)」という資格ができたことを知りました。この資格は、当時のアメリカ・クリントン政権のもと、ワンストップセンターで働く職員などのキャリア支援実践者の質の向上を目的とした、「キャリアカウンセリング」の基本技術を伝えるプログラムとして開発されたものです。

この先、日本でも必ず必要になるだろうと確信があり、ボールズビー博士に情報提供をお願いしたところ、資料を送ってくれることに。というのも、そのマニュアルの一部を彼女が執筆していたのです。
その後、このプログラムを日本へ導入することの契約にこぎつけ、再度プログラムを加筆・修正をしてできあがったのが「CDA(Career Development Adviser)」の養成プログラムのマニュアルでした。

2000 年には、そのマニュアルを使った日本初の「キャリアカウンセラー養成コース」を日本マンパワーで開設。同年には「CDA」を取得したキャリアカウンセラー第一期生が誕生しました。そして、同年、東京都の認可を受けて特定非営利活動法人日本キャリア開発協会(JCDA)が設立しました。  

日本キャリア開発協会

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