バックナンバー(もっと見る)

2017年05月号 vol.63

【特別寄稿①】 いま、求められるがん患者へのキャリア支援 ~がんになっても...

2017年01月号 vol.62

【CDAインタビュー】 看護師、看護職員教員をへて、 看護職専門のキャリア...

2016年11月号 No.61

【CDAインタビュー】 「知識提供型」から「共感・体感型」へ ~参加者が企...

JCDAジャーナル

2016年5月号 No.59

「CDAのこれから 〜実行し続けるための原動力  環境は変わってもあり方は変わらない〜」

2016年07月06日 13:11 by jcda-journal

2016年4月1日に標準レベルキャリア・コンサルタントが国家資格化されるに先立ち、今回は立野理事長のご登場です。(今回のインタビューは、3月初頭に実施しています)CDA養成講座を日本に導入してから今に至るまでの思い、そして、国家資格化される今、「CDAのこれから」と今までの変遷も含めてのインタビューです。TOP部分(3-2)

****
―今回のCDAインタビューは、理事長です!理事長として、また、一CDAとしても語っていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 それでは、理事長がCDAを日本に取り入れようと思ったころのことを思い出していただけますか。そもそもなぜ日本にキャリアカウンセリングを導入しようとしたのか。思い浮かぶことを教えて下さい。

思い浮かぶことはたくさんありますよ。日本マンパワーにいた、いやもっと昔からの話になります。大学のときに臨床心理学を学んでいて、大学4年のときに、心理方面で仕事がしたいとボンヤリと考えていました。当時は、心理学と言ってもカウンセリングは重要視されていなかったのですが、カウンセラーという仕事がいいな、と考えても就職先がなかったんです。そんな中でも、国家公務員上級職試験は心理系で受験できたので、現役でその試験を受けました。一度はだめで、就職浪人をして翌年の試験に臨みました。

―就職浪人までしたのですか。

結局翌年の真夏、8月に再度受験してだめだったので、もうこれ以上は難しいと思い、民間企業に就職することにしました。そこから就職活動をして、株式会社日本マンパワーの関西支社に入社しました。そこに入っても心理学で仕事をしたいと思っていました。

―日本マンパワーに就職を決断した決め手は何だったのですか。

心理学の方面で仕事をしたいと思っていたので、適性検査や採用試験テストに関することをしていた日本マンパワーに可能性を感じたからです。当時の社長と採用面接で話をして、この会社なら自分のやりたいことができると思って入社を決めました。  しかし、入社はしたものの、希望の部署には配属されず、いろいろな部署をまわり、採用時の社長の言葉でもある「いつか東京の企画部門に配属してやるから」という約束もその後永らく果たされることはありませんでした。結局、営業で長く引き留められることになってしまいました。

キャリアカウンセリングという言葉を知る
営業をしていてあるとき、小さな金融、地元の信用金庫の人事の方から「立野さん、最近、キャリアカウンセリングというものがあるんですが知っていますか。」と言われました。

―それは、何年前のことですか。

かれこれ、30年以上前、20歳中盤、後半くらいのころでしょうか。

―そのとき、すでに、日本で、キャリアカウンセリングという言葉はあったのですか。

当時はまだまだ知られておらず、私自身も、そのとき初めてキャリアカウンセリングと言う言葉を聞きました。その後、東京に転勤になり、専門部署の配属になってから、人事・労務関係の先生方からいろいろ話をお聴きする機会ができました。
40歳手前くらいのときに、個人でカウンセリングルームを開いていらっしゃったある有名な心理臨床家の先生のところに行き、インタビューをしたことがありました。終わったあと、同行した仲間に「閉鎖的で、暗い雰囲気ですごく嫌な感じがした」と言ったことを覚えています。大学のときは、当時の臨床心理学の中で学んだカウンセリングは、不適応、メンタル不全といった方々を対象にしていて、人間性を垣間みられて興味がありましたが、その興味がどこかで変わったんでしょうね。

2ページ目(2-1)

 

キャリアカウンセリングは、いわゆるクリニカルなカウンセリングとは違うけれども、心理学で学んだことを活かすことができ、閉鎖的でなく、社会の方向に開かれた明るい感じがしました。
ちょうど、バブル崩壊前くらいで雇用不安になり、「雇用」というテーマで考えることが多くなりました。それをきっかけに事業化したいと思うようになり、その時期にいくつか実験的なことをしました。関係のあった人材派遣会社と恊働し、公開セミナー+ カウンセリングをやったところ、カウンセリングは、3 ヵ月くらい先まで予約が埋まる状況でした。それくらいキャリアについて相談したいと思っている人がいるのだと感じ、以前からテーマとして抱いていた、キャリアカウンセリングをビジネス化できるのではないかと思いました。

―少し話を戻しますが、20代後半にキャリアカウンセリングと言う言葉を知り、カウンセリングの先生のところに訪ねたのが40歳前後くらい…キャリアカウンセリングをビジネスにできないかと考えたときまで10年くらい間があるのですが、その間は何をされていたのですか。

本社に企画部隊があって、「CDS」(キャリアデベロップシステム)という研修プログラムを開発し、バブル崩壊の前くらいに発表しました。ビジネスマンのキャリア形成を側面から支援していくというコンセプトで、既存事業をそのコンセプトの下に融合させていくという、当時のトップの思いが込められたモノでした。しかし、当時は折悪しく、大手企業を中心に早期退職を促す目的の「退職準備プログラム」が盛んに発表されていた時代で、CDSもそれと類似のプログラムと見られたりもしました。そのとき、日本マンパワーが「キャリアプラン」という商標登録を取りました。「キャリアプラン」という言葉はマンパワーが一番に打ち出したことになります。 しかし、最初のころはキャリア形成を促すという研修は全く一般的ではなく、全然受け入れられませんでした。

当時私は関西で営業と企画をしていましたが、東京本社のCDS の部署にいたスタッフは、心理学科を卒業しているような人たちで、とても肌が合ったことを覚えています。当時は、営業とCDS の企画を兼ねた仕事を関西でしていましたが、あるとき、本社のCDSのメンバーの入れ替わりがあり、社長に呼ばれて本社のCDS の部署に行くことに なりました。CDSをずっとやりたいと言い続け、叶ったのは30歳か31歳のころです。

―そこから、キャリアカウンセリングですか。

いやいや、まだまだ。そこから、イベントをやったりしてニーズを感じ、キャリアカウンセリングみたいなことをやろうとしましたが、能力開発やキャリア形成ではなく、キャリアカウンセリングを展開するには何か違うものが必要と感じてました。

常に考えていたのは「自分にとっての企業の可能性」
―経営陣が変わる状況、当事者として経営陣をみて、その情景をどのように受け止めていたのですか。

いつも考えていることは、企業が必要とする人、それに越したことはないけれど、それは他人事。自分がこの企業にいる必然性を考えていました。なぜそんなことを考えていたかというと、絶えず、自分の身が危なかったからですね。

―身が危ないとは、どういうことですか。

大阪ではトップセールスマン。東京にきたらCDS という部署。東京の営業部隊では、 CDS研修プログラムは展開が難しいと思われていました。そんな中で、常に私が考えて いたのは、「この企業が自分を必要としているか否か」ではなく、「自分にとってこの企業で仕事をする必要性があるか否か」という ことでした。

今から20年ほど前、新しく着任した社長から、赤字経営脱却を考えてのことだと思いますが、当時の部長職層に対して新規の商品開発案を提案しろといわれ、キャリア形成に関連したアセスメントの開発の提案をしたところ、一発で認められ、調査のためアメリカ出張が認められました。

アセスメント開発のためアメリカへ
―反対されなかったのですね。一番外に追いやりたい部署が日の目を浴びた瞬間ですね。

同じ部署に、大原(大原理事)がいて、やはり私と同じ大学で心理学をやっていた経験を持っていました。その方面で仕事を作っていきたいという思いがあり、一緒にアメリカに行きました。

―英語も話せないのに…。

そうそうそう。英語なんてほとんど話せないですよ(笑)。取りあえず、キャリアカウンセリングが一番盛んなアメリカに行くことは決まっていましたが、誰に会いに行くのか。どこに行ったらいいかを調べる必要があ り、まずは日本での情報収集から始めました。現在この分野で活躍されている多くの先生方にも会いに行き、話を聴きました。中でも、K先生のお知り合いでその当時ペンシル バニア州立大学に留学している日本の教授を紹介してもらい、その先生から、Dr.Herr を紹介してもらい、その後事前に何ヵ所か準備した訪問先を尋ねて回りました。3ページ目(1-2)

その中の一つ、ACT ワシントン支社へ訪問したところ、ホランドの六角形が入り口に貼ってあって、「ここはホランドの関係かもしれない」と大原理事が話していたことを覚えています。

この訪問がCPS-J の開発のきっかけとなり、CPS-J を開発するまでも相当の紆余曲折がありましたが、契約まで至ることができました。そのとき出会ったのが、当時NCDA のプレジデントであったボールズビー先生でした。その後、CPS-J の開発でボールズビー先生を日本にお呼びしたときに、キャリアカウンセラー養成セミナーを連続4 日間やりました。

養成講座のプログラム開発
―それはいつですか。

確か1998年だったと思います。講座最終の4日目で、アメリカ政府の予算で開発されたCDF というキャリアカウンセラー養成の基礎的なプログラムがあると知り、主催者に も関わらず最終日に次々と質問をしたら、「そんなに興味があるなら帰ったらアメリカから情報を送りましょう」とボールズビー先生に言っていただきました。その後幾つかの交渉を経て、結果として日本マンパワーが養成講座のプログラムを開発する契約をするまでになりました。

―始めはアセスメントの提案で行っていたけれど、理事長は養成講座のプログラムに興味を持っていたということですよね。

アセスメント開発はきっかけでした。元々は、キャリアカウンセリングのプログラムを導入したいと思っていました。

―アメリカに渡って、養成講座の着手、立ち上げるまでどのくらいかかったのですか。

95年に渡米して、第1回CDA 養成講座が 99年。JCDAの立ち上げが2000年、そんなに時間はかかっていないかと思います。

―協会を作ることは、日本マンパワーにとっては賭けではなかったのですか。

日本マンパワーはCDAの協会を立てることは当初から問題にはしていませんでした。 たぶん、研修の仕組みの一部と思っていたのではないでしょうか。きっと、今のようになるとは誰も想像していなかったと思います。

―理事長自身は、10年後どんな風になると思っていましたか。

私は、今のようになると思っていました。 私自身もいずれ協会に移って仕事をすることになるだろうと考えていました。JCDAを立ち上げる中で、印象に残っているのはCDA 事業に関する大枠の意思決定です。CDAを 資格にするか、日本マンパワーと組織を分けるかなど。決定しなければならないいくつかの検討項目を書き出し、そうしたときのメリット、デメリット、今後の課題を書き出し、それぞれの組み合わせを考えました。そして結果として最も難しい選択をしました。そうでないと、資格にしてJCDAを立ち上げても相乗効果がでないと思ったからです。やってよかったです。

―それは理事長の考えだったのですか

他のメンバーもいましたが、大半は自分自身の思いを貫きました。4ページ目(1-2)

―JCDA を立ち上げて15年。ぐっと話を進めますが、前回のジャーナルで、
変わるもの、変わらないもの、変えてはいけないものというところが、とても印象的だったのですが(58号年頭所感より)。

国家資格になることで大きな変化があると思える部分もありますが、そんなに大きな変化とも思っていない部分もあります。民間資格から国家資格に変わっても、そのことにより能力が上がるわけではありません。周辺の制度がかわっても、中身が変わらなければ基本的にはかわらないと思うからです。

―今の話は、経営層が変わったときに感じていた、企業が自分を必要とするか否かではなく、自分にとってこの企業にいることの必要性の話と同じこと。つまり、自分自身がしっかりしていれば、周りが変わっても何も変わることはない。こんな風に聴こえるのですが、そんなニュアンスですか。

関係しているかもしれません。

― 一番変わらないのは、理事長の情熱でしょうか。

そんな風に言えたらかっこいいですね。考え方も変わっていません。周りがそんな風に変わっていく予感もありましたし、自分だけが浮き上がるとも感じていませんでした。兆候は感じていて、自分が考える風に環境が変わってきた。振り返るとそんな風に思います。

―原動力は何ですか。

自分の仕事は、自分のモノということかも知れません。会社の仕事という考えはなかったですね。どこであっても、「この仕事は自分のものだ」という思い。人生みたいなものです。

キャリアの定期健康診断
―キャリアですね。そろそろ終わりなのですが、こうなっていくであろうという予感はもっていたということですが、この先どうなっていくと考えていますか。 

今、セルフ・キャリアドックという制度が厚労省の施策として進められています。28年度から本格的に予算取りされ、拡大する方向でスタートします。「定期的なキャリアの見直し」の"定期的"というのが気に入っています。キャリアカウンセリングは、就職や転職など何か問題が発生したときに相談する、問題解決のニュアンスがありますが、それだけではなく、キャリアカウンセリングの本来の位置づけを考えたいと思います。

このセルフ・キャリアドックは、キャリアの定期健康診断、健康診断のように普通のこととして定着していくことが夢ですね。みなさんにも、ぜひ、協力してほしいと思います。

―最後に、全国のCDAへメッセージをお願いします!

日本のキャリア形成は、JCDAが担う!他団体もキャリア形成に関して同じように考えていらっしゃるところがあれば、一緒になってこれを広げていけるのではないかと思って います。でもまずはCDAからです。会員のみなさんがそういう思いをもっていただければいいですね。

―立野理事長、ありがとうございました。

<取材を終えて>

今回理事長にインタビューをさせていただき感じたことは、「信じて情熱をもち続け実現しようとするすごさ」です。周りから何を言われても、どんなに批判されても思いを貫 き通す強さ。40年もの間、情熱を燃やし続け、理想を実現するためなら何でもやろうとした行動力。そして、今もなお、理想をもち続ける持続力、その頑固さ…いやぶれないあり方はまさにCDAのかがみ!です。「環境は変わっても私のあり方は変わらない」、そう自信をもって言えるCDAになる!と誓ったひとときでした。理事長、お忙しい中お時間を作っていただき、ありがとうございました。 これからも、よろしくお願いします!!5ページ目(3-1)

聴き手:

JCDA 広報ボランティア:磯貝 和子(CDA137517) 伊名岡 茜 (CDA137602)
木元 栄子(CDA131031)

関連記事

CDAの学びから広がる人・地域とのつながり

2017年05月号 vol.63

看護師、看護職員教員をへて、看護職専門のキャリアカウンセラーへ

2017年01月号 vol.62

「知識提供型」から「共感・体感型」へ〜参加者が企画者へと成長する空間作り〜

2016年11月号 No.61

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2017年05月号 vol.63

【特別寄稿①】 いま、求められるがん患者へのキャリア支援 ~がんになっても...

2017年01月号 vol.62

【CDAインタビュー】 看護師、看護職員教員をへて、 看護職専門のキャリア...

2016年11月号 No.61

【CDAインタビュー】 「知識提供型」から「共感・体感型」へ ~参加者が企...