バックナンバー(もっと見る)

2017年05月号 vol.63

【特別寄稿①】 いま、求められるがん患者へのキャリア支援 ~がんになっても...

2017年01月号 vol.62

【CDAインタビュー】 看護師、看護職員教員をへて、 看護職専門のキャリア...

2016年11月号 No.61

【CDAインタビュー】 「知識提供型」から「共感・体感型」へ ~参加者が企...

JCDAジャーナル

2016年1月号 No.58

経験代謝で楽に生きる

2016年03月23日 14:50 by jcda-journal

経験代謝で楽に生きる

CDA会員 宮崎 結花  私は、キャリアカウンセリングに出会って生き直した気がする、とよく言います。カウンセリングを学び始めたのは、もうすぐ21歳になる娘が小学校1 年生の時でした。学びのきっかけは、分社化プロジェクトに携わったことで、もっと専門性を高めたいという思いからでした。その頃の自分に対し、今のままでいいのか、人生をこのまま何となく生きていていいのだろうか、と悶々としていました。私の学びは、産業カウンセラー養成講座が始まりでした。そして、ちょうど資格を取得して間もなく、母が他界しました。

母は、本当に体の弱い女性でした。私が幼稚園に通っている時に、入退院を繰り返し、ずいぶん寂しい思いをしました。私は二人姉妹の姉でしたので、妹の手前、寂しいとも言えず、平気なふりをしていました。体が弱い母は専業主婦でしたが、料理の腕がプロ並みで、食器も和洋中で使い分け、おやつもジュースもすべて手作りの家庭で育ちました。母の体が弱かったせいでしょうか?母の母である祖母が同居していました。祖母は、戦死した祖父に代わって、和裁教室の教師と親戚の呉服屋の仕立物を縫う仕事で、母と叔母の二人の娘を育て上げ、家事は一切母任せでお料理は苦手のようでしたが、とにかく元気で、体が丈夫な祖母の存在は、私にとっては「安心感」につながっていたのだと今、振り返ればそう思います。

父は、仕事熱心でスナックを経営していました。真夜中に帰って来るにも関わらず、朝は私よりも早く起きて、帳面をつけている姿を覚えています。お客様のお誕生日には大きな花束を届けに行き、夕方になると入念に身支度し、颯爽と家を出る父を誇りに思っていました。夜の仕事というだけで、小学生の頃はいじめのようなものもあった気がしますが、決して父の仕事は恥じるものではないと幼いながらに確信していましたので、周囲の声は何のその、気にしていませんでした。

中学校のときに大きな家を父が建ててくれて、お姫様気分で帰っていました。が、それは長く続かず、家を建ててわずか2 年で両親は離婚。母に連れられ暮らしていましたが、その母が、高校2 年生の参観日にくも膜下出血で倒れ、意識不明が数ヵ月続き、人間はこんなに涙が出るのかと思うくらい毎日泣いていました。お料理が苦手な祖母が頑張ってくれ、お料理が得意な妹が私のお弁当を作ってくれました。

母は一命をとりとめ、私たちのことは覚えていましたが記憶を失っていることが多く、普段の生活も祖母が付きっ切りでないと生きていけない状態でした。

躊躇一つ一つの出来事を受け止めるのに精いっぱいで、ゆっくり自分を見つめ直すこともないまま生きていました。時折自分の存在価値を考えると不安になり、誰かに寄り添いたいのに寄り添えない自分がいることにも気づいていました。幼い頃寂しい気持ちをかき消していたからか、私は、人を愛するといつかは悲しい思いをするんじゃないかと強い恐れを抱いていたような気がして、愛することに対して躊躇してしまう自分がいたような気がします。

もっと自分らしく生きたい、本来の自分ってどんな自分なんだろう、そう思ったときに出会ったのがCDA という資格でした。養成講座のカリキュラムの中のライフラインチャートで自分自身を振り返ったときに、"自己開示の範囲は自分で決めてよい”というグループワークのルールはありましたが、自分で決めて、グループワークですべてを開示しました。そのときに、ものすごく楽になったことを今も鮮明に思い出せます(グループの中でどの辺りに座っていたかも覚えています)。
それは今まで生きてきた中で感じた「初めての感覚」でした。キャリアという言葉が理由なく好きでした。とにかくこの資格に「惚れ込んだ」というのがイメージぴったりでした。自分の能力や実力を考えられないほど、この資格とJCDA が好きだという思いが強く、とにかく受けるチャンスのあるものにはすべてトライしました。資格取得後間もなく、ピアファシリテーターのオーディションを受け認定をいただき、そのあと、躊躇せずインストラクターのオーディションにチャレンジ。誰にも止められない勢いがありました。それから8 年間、養成講座の講師を続けてきました。息子が保育園の頃でしたので、小学校に入ると「普通のお母さんみたいな仕事をして」と泣いて訴えていました。金曜日から日曜日の夜まで母親が居ない生活は確かに、普通ではない、でした。

考える私にとって「働く」とは何なんだろう、と考えたときに、私が父の仕事に誇りをもっていたように、娘と息子には自分の仕事を認めてもらいたいという気持ちがどこかにありました。親に認めてもらうならまだしも、幼い子どもに認めてもらいたいと思うのはおかしなことのような気もします。今思うと、私にとっての「家族」は、ふと気づけば、子どもたちがすべてになっていました。何かあったときに頼れる親はいない、離婚して子どもたちを一人で育て上げようと決意してからは、仕事をしている姿を、子どもたちに誇りに思ってほしいという気持ちがますます強くなっていました。寂しく二人で留守番、という大変な思いをさせていることに罪悪感に苛まれることも多々ありました。しかし、どんなに考えてもこの仕事を辞めようとは思えない私がいました。自分にとって「CDA インストラクター」という仕事は、うまく表現できないのですが、今まで感じたことのないやりがいを感じる感覚があり、生きるうえで欠かせないものになっていました。辞める選択肢がないならわかってもらうしかない、小学校1年生の息子に「CDA とは」から説明しました。そして、つらそうに仕事をしていたのでは待ってくれている二人に申し訳ないと思い、「さあ、働いてくるよ。行ってきまーす」と家を出る背中が楽しそう、を心がけました。息子は、あきらめたのか、認めてくれたのか、いつしか応援してくれるようになりました。結果的に、「働くことは楽しいことだ、働きたい」と二人とも思ってくれているようで、それは何より嬉しいことです。

今になってやっと、働き方を変えようと思えるようになりました。土日の仕事をぐっと減らし、ひとつの転機を迎えました。

経験代謝を学ぶ研修『物語の中の登場人物があなたに語りかける』で私が選んだ物語は、「ローマの休日」でした。小さい頃から、父と母、祖母に、大切に育てられたからこそ、その後の出来事を乗り越えられたような気がしています。父に手を挙げられことは一度もありませんでしたし、小さい頃、空気の悪い飲み屋街に住んでいて小児喘息を発症した私のために、空気のよいレンゲ畑のある町に住もうと引っ越してくれ、小学1 年生のときには、当時はまだめずらしい歯の矯正もしてくれました。母の手料理を毎日食べ、祖母の手づくりの洋服を身にまとい、自分の好きなことを好きなだけしていました。当時通い始めた絵画教室はどうしても嫌で、嫌だと言うとすぐ辞めさせてくれました。

いつの間にかすべてを自分で担い、自分で何もかもしなければと思っていましたが、本来の私はもっとおっとりしていました。引っ越したばかりの小学校の帰り道で迷子になって、誰にも聞けず彷徨っているような子どもでした。

ローマの休日ローマの休日をなぜ選んだのか?自己概念に名前をつけると、あらためて今の自分を見つめて名前をつけると、「無邪気さ」です。何でも完全にしなければならないと思えば思うほど、失敗します。もっと素晴らしいものにしなければと思えば思うほど、締め切りぎりぎりになったり締め切りを過ぎたりして、周囲に迷惑をかけ、情けない思いをします。

出来事を見つめる習慣がついたとき、やっと自分らしさに気づけました。実は、気づけたのはごく最近のことです。「頑張ります」という言葉を使うのをやめました。頑張ることが自分にとって、どれほどつらいことなのかに気づいていませんでした。本来の私は、もっと人に頼ったり甘えたりしたいはずなのに、頑なに自分だけでなんとかしようとしていた自分にも気づけました。そんな気持ちになれたとき、人生のパートナーに出会え、昨年5 月に結婚しました。きちんと自立した関係性で尊重し合いながら生きていくことは、強くあることだけでなく、弱さもちゃんと表現できることだと感じています。私にとって弱みを見せることは、予想以上にハードルが高いのですが、日々変化成長、私の経験代謝サイクルは、一瞬一瞬の出来事で回っています。どんなに時代が変わっても変わらないことは、この資格に出会えて人生を生き直せたこと。女性活躍推進に特化した会社を設立したのは、私の生まれたきた使命は何だろうと考えたときに、ここに行きつきました。もう迷いはありませんでした。ただ、前を向いて行動するだけ。経験代謝で揺るがないものが見えたとき、心がすっと軽くなりました。思いっきり動いて起こる失敗は怖くなくなりました。「経験代謝で楽に生きる」、これからの私の生き方です。

 宮﨑 結花プロフィール
1989 年株式会社タカキベーカリー(アンデルセングループ)に入社。営業職から始まり、1995 年第一子(長女)を出産し育児休業を一年間取得。経理職を経て、【分社化プロジェクト】に参画。分社後は、グループ全体の採用・教育に携り、2003 年5 月退社。2004 年第二子(長男)出産。その後、ハローワークにて、再就職プランナーとして3 年間勤務する。2007 年Career Blossom設立。第26 期講座よりCDA インストラクターとしてCDA 養成に従事。JCDA 認定PF アドバイザー。2013 年株式会社Woman's を設立し、女性活躍推進に特化したコンサルティングを行っている。

関連記事

~経験代謝で自分らしさを実感する~

2017年01月号 vol.62

〜経験代謝から湧き上がるエネルギー〜

2016年11月号 No.61

〜経験代謝と共に生きる〜

2016年8月号 No.60

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2017年05月号 vol.63

【特別寄稿①】 いま、求められるがん患者へのキャリア支援 ~がんになっても...

2017年01月号 vol.62

【CDAインタビュー】 看護師、看護職員教員をへて、 看護職専門のキャリア...

2016年11月号 No.61

【CDAインタビュー】 「知識提供型」から「共感・体感型」へ ~参加者が企...